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プロフィール
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2012/01/14 17:41
秋風になびく嬌声。近くの小学校で運動会の練習をしている。 |
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2012/01/14 02:12
「あら、花が咲いている」緑が言った。緑は長谷やんの孫娘の美大生だ。章雄の画廊でスパゲティを作っていたところだ。 |
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2012/01/13 23:12
章雄は組んでいた脚を入れ替えた。 |
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2011/11/26 03:19
しかし、いま死さえもリアリティを失っている。いいや、これまで一度だって、自身の中で死がリアリティを持ったことなどないことに章雄は愕然となる。幸子の死に顔さえ見ていない。あのとき、現実を受け入れられなかったのは意気地がなかったからなのだ。ああ、長谷やんの死、金さんの死、母親の死。そんな死は、人生の最終章に付く終止符。胡麻粒のような死だ。それらとは違う、例えるなら戦場のような死の実存。手触りのある死。与える死。この手で肋骨の下で蠢く心臓を掴み出してやることなのだ。 |
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2011/10/23 02:13
女とはおしゃべりなものだ。母親のマリ子もそうだった。腕力がない分、口が器用に出来ているのだろう。そんなことを脳の片側で思いながら凞子の話を聞いていた章雄であった。残り半分の脳は、三十年前の酒場の記憶をたどっていた。目の前の五十がらみの女が働いていたことがあるというF郷駅前のレディースコンパ。あの時、渋沢春彦と会った店だ。ありありと昨日のことのように蘇る、あの壁に飾ってあった絵。凞子は自分の源氏名を“かおり”と言った。あの時の娘は奈々……。 |
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2011/07/29 02:45
四十年の歳月が人間の肉体を変容させないなら、この世を憂き世とは呼ばぬものを。……と、嘆くのは美男美女であって、三遊亭K馬そっくりの、歯の発祥が残念なこの男、顔の造作はほとんど四十年前と一緒で、ただよくよく見れば表面の皮膚が細かいシワに覆われて萎びたようになっているだけであった。頭こそすっかり禿げていたが、章雄の記憶にある正一は坊主頭。今と大して変わりはない。いや、しかし。この男から祥子のような綺麗な娘が生まれるとは、狐につままれたような心持ち。母親にはよく似ているが、もしやと章雄は考えた。そうだ実の娘とは限らない。 |
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2011/06/24 03:30
母と娘らしき二人連れが入って来た時、章雄はピンときた。ブログの友、サチコとその面白い母親であると。キョロキョロしている二人に章雄の方からツカツカと歩み寄った。 |
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2011/06/22 03:16
北へ北へと飛ぶ赤とんぼ。今や東京では滅多にお目にかかることがない。つくつくぼうしの「スイッチオン、スイッチオン」という啼き声に急かされて、教科書を橋の上から川へ捨ててそれっきり、学校へ行くことを止めたのも、ちょうどこんな雲一つない秋の日。などと気障なことを思いながら凞子は、祥子と一緒に、長谷川トシノリ展を見ようと画廊がある最寄りの駅へ降り立った。土曜日の昼下がりである。 |
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2011/06/21 01:18
「ああうっとうしい」とついに章雄は上半身裸になってしまった。 |
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2011/06/20 03:17
章雄とケンが渋沢病院の正門をくぐったのは、十五夜に二夜足りない月夜であった。章雄は生涯で何度目かのスーツ姿、ネクタイまで締めている。ケンとて普段とは見違えるようなパリッとした格好。裏木戸から忍び込んで春彦によって落とし穴に落とされた、あの少年の日以来の来訪であった。 |
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2011/06/19 02:23
“短世や大川端の人殺し” |
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2011/06/04 03:29
章雄の部屋の窓から渋沢病院が見える。その街のどこからでも見える。こんもりと茂った緑の中に白いビル。まるで西洋の城のようであった建物はありふれた五階建のビルに建て変っていた。板塀はブロック塀に。章雄は渋沢病院を一度も訪れたことがない。子どもの頃から身体が丈夫で風邪も滅多にひかなかった。だから病院の表玄関を知らない。街から見える後ろ姿しか見たことがなかった。病院の先代院長とその妻は亡くなり、長男が後を継いでいることは知っていた。そのへんのことは大体が噂で耳に入ってきていた。ケンは今でも渋沢春彦を真犯人と疑っているのかは解らないが章雄が何も聞かずとも度々話題にした。今となってはケンが正しかったのだ。証拠はなかったが、ケンは何か感ずるものがあったのだろう。 |
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2011/04/17 15:20
美術評論家の宝井由美という人を章雄は知らない訳ではなかった。K社が出している美術雑誌の編集者からフリーの評論家になった人だ。編集者だった頃、十年ほど前になるが長谷やんのことで取材に来たことがあった。いわゆる教養があって品よく、生まれも育ちも章雄とは此岸と彼岸の違いありと見受けられた当時であった。歳は章雄と同じくらいか。 |
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2011/04/05 02:47
パソコンなんてものは、けっ、人間が出来ないことをやる訳じゃなし、ただ効率を上げるだけだ。と、ずっと機械文明に背を向けて来た章雄であったが、インターネットというものには、もう只々「参りました」というしかないのだった。何がすごいかというと「出会い」である。例えば、こんな異常なことを考えているのは自分くらいのもんだろうと、卑屈、鬱屈、偏屈に凝り固まり世をすねていたような者でも、ネットの世界で「おーい」と呼べば大勢の者が集って来る。生まれ育った地域社会では異端でも、日本中、世界中をさがせば、同好の士は夥しい人数いるのだから、もはや孤独ではない。さらにネットは、これまで、どうせ底辺の人間だから、何を見られたって聞かれたって、どうせ発表する場を持たないんだからと相手に対してナメきった態度をとってきたエラい方々を脅かす。作家でも新聞記者でもない者が「媒体」を手にしてしまったのだ。あるいはジグソーパズルのように、ネット上に現れた言葉たちが組み合わされて一つの真実を浮かび上がらせることもあるだろう。一人が全貌を見ていなくても、ある者は鼻が長いと言い、ある者は耳が大きいという。そんな風にして大勢の証言が象の像を結ぶのだ。 |
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2011/03/30 04:51
200Z年、九月。凞子が三十年以上前の記憶を蘇らせるものに偶然出会ったのは、六本木ヒルズで“B美術館展”を見た帰りのことであった。美術展は小品ばかりでちょっと期待はずれ、モネの睡蓮もあったが上野の国立美術館の大作とは比べ物にならない。ルノアールだったかが「アンタの絵を買ったが本物か見てほしい」といわれ、偽物だったけれども、あまりに高い値段で買ったその者を気の毒に思い「本物だ」と答えたエピソードを思い出し、あの中の何点かは偽物かもしれない……。などと車中、不遜な感想を抱きながら住まいのある中央線のT駅に降り立った凞子であった。 |
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2011/03/06 03:16
――とにかく若い奴だった。 |
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2011/03/02 15:04
200Y年。池袋にあった章雄たちの画廊は、二人が生まれ育った、かつての「錆色の街」に移った。場所は金さんの本屋、章雄の実家があった土地だ。そこに画廊兼章雄の住まいを建てたのだった。 |
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2011/02/26 03:39
十年ひと昔というけれど、三十歳を過ぎてからの十年はあっという間だ。人生の後半の三十年なんて、そのアッという間が三たび、アッアッアッという間に経ってしまう。それに比べて生まれてからの三十年は、それはそれは長い。長くなくてどうしよう。中原中也や佐伯祐三にとってはそれが人生のすべてではないか。いやいや、村山槐多や関根正三の一生にいたっては二十年そこそこ。幸子という幸薄かった乙女は僅か十五年が一生だったのだ。彼ら彼女らはおそらく、自分の命の丈を知っていたに違いない。脳や意識ではなく肉体が細胞が知っていたに違いない。なぜなら、彼ら詩人の言葉や色彩と筆遣いで語られた詩は、何か特別の光を放っているからだ。事物を美しいと感じるのは、それがいずれ失われることを無意識レベルで知っているからかもしれない。諸行無常。それが幽玄の美であるのか、世阿弥よ。差し迫ったこの世の事物や現象との別れ。見るもの皆、輝いて見えるに決まっている。木の葉の葉脈は血管のように脈打ち、鳥の声はどんな歌手の歌よりも詩的で、逆に、デザインされた商品やビルは醜さを際立たせゴミと瓦礫に見えるのだ。 |
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2011/02/20 21:33
思春期は麻疹のようなものだ。とはよくいわれることだ。作家M島にいわせれば熱病らしい。そのMがあのような最期を遂げてから五年。Mが闘って討ち死にした対手が、我が内にも住まっていることを春彦は少年期から感じており、ゆえにMの書くものには並々ならぬ共感を覚えて来たのだった。それはときに美意識となって現れ、時には政治思想となって出現する。 |
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2011/02/18 11:41
ケンの住まいは、池袋駅から建設途中の東洋一の高層ビルの方へ徒歩二十分くらい行ったところにあるモルタル二階建てのアパートの二階の角部屋だ。六畳と四畳半に二畳ほどの台所。家賃は一万六千円。妻の聡子はケンより二つ年下で北海道の出身だ。中学を卒業して集団就職で東京の工場に勤めたが寮生活が嫌で新宿の喫茶店で働くようになった。客として行ったケンと章雄が声を掛けて誘い出し、ケンと付き合うようになったのだった。 |
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